なにやらHPのシステムが変わり、困惑・・。
以前より変わる事は告げられていましたが、とうとう来たか!と思いながら新しい機能と戦って、なんとかブログのアップをしています(笑)
はぁ~、前のほうが、シンプルで使いやすかったのに!とここで愚痴を言ったところで変わるものでも
なく、慣れるしかありませんよね。
思い起こせば昨年2月、泣きそうになりながらなん
とかHPを作り終え、公開できたことを思えば楽な
はず。。。
さてさて、昨日放送されたTBS「夢の扉」は放送10周年スペシャルとなり「バカにされたからこそつかんだ夢」がテーマでしたが、ナレーションを務めるお三方が出演されており、そのうちのおひとりである向井理さんが冒頭で話しておられたのは、新人の頃プロフィールを持ってプロデューサーさんの所へ行くと、ちらっと見て、目の前でその資料をゴミ箱に捨てられたことがあり、「見返してやろうと思って頑張ってやってきた」とおっしゃっていましたが、私にも同じ経験があり、モデルは新人の頃、広告代理店、フォトスタジオ、TV局、企業様などマネージャーさんと共にプロフィール写真を持って挨拶に伺いますが、ある広告代理店でプロフィール写真を差し出したところ、「いらない」と言いゴミ箱に捨てられ、すぐさまマネージャーさんが拾って手で払い「そう言わずにお願いいたします」と机に置くと「だからいらないって」とまたゴミ箱へ・・・。
それでもまた拾って机に置き「何かありましたら、お願いいたします。では失礼いたします」とマネージャーさんが言い、その場を立ち去る時、私がゴミ箱を横切ると同時にまたもや捨てられました。
このことは、私にとって信じられない事であり、多くのモデルさん達がオーディションなどで何度も落ちて傷つき辞めて行く中、私も「辞めよう」と思う出来事でしたが、何度も拾って頭を下げてくれたマネージャーさんにすぐに伝えることができず、今日終えたら帰りに伝えようと決め、その足で次に伺った広告代理店で温かいお言葉をいただいて救われ、思いとどまった経験があります。
番組でご紹介された最初の方は、大学病院でERセンター長まで務めたお医者さんが、故郷の宮古島で訪問診療の道を選んで懸命におこなっていたところ、大学病院の先輩医師より呼び出され、「君のやっていることは病院と外来のおこぼれを狙ったすきま産業だ」と言われ、「こんなことでゆらいでたまるか!」《すきまの向こうに輝くものがあるはず》と信じて続け、現在、鎌倉でおこなっている診療所には、10年前に「夢の扉」をみて自分も同じ道をと選んだ医師とともに働き、後世へとつないでいます。
お二人目となる、富山県で400年続く伝統工芸の鋳物師の方は、18年前、不景気で次々と同業者が倒産する中、過労で何度もダウンしながらも奮闘を続けていたある日、工場に親子の見学者達がくることになり、職人の誇りを胸に技を披露していたところ、一人の母親が「よくみなさい。勉強をしないとあのおじさんみたいになるのよ」と言われ、身体中の力が抜けたそうですが「良いものをどんどん作っていき、職人の地位をあげよう」と思い、柔らかすぎて食器には向かないといわれていた錫に眼をむけ、曲がる食器を作り上げ、パリなどでも大盛況となり、また医療分野でも、手術で固定させるために使う器具を錫でつくり、曲げられるため凹凸のある部位でも安定して使えるなど、「柔らかくて曲がってしまうなら、曲げて使えばいい!」と逆転の発想で成功!
そして三人目となる方は、工学博士の方ですが、マグネシュウムの研究を決めた14年前には「今さらマグネシュウムの研究?くだらない!」とまで言われたそうですが「新素材を作り上げて幸せな社会をつくりたい」との思いから、マグネシュウムの発火しやすいという弱点を克服し、新素材を作り上げ、なんと、ボーイング社からオファーがあり、同社との共同研究の契約を結びつけ、現在建設中の研究センターにて、実用化へとすすめるそうです。
「覚悟と信念」を持ち続け、逆転の発想も持ち合わせ、長い年月をかけて夢を叶えたことに
感動!!
タモリさんも向井さんと同じ経験があるそうですが、残念ながら私には向井さんのような気持ちを持つことができず、そのことが今一つパッとしなかった理由の一つではないかと、今さらながら思っています・・。
コメントをお書きください